地方創生のこれからの話

私は鹿児島が好きだ。

次いで福岡が好きだし、東京よりは全ての九州県を好きである自信がある。

好きであるという事と住みたいという事がイコールでないのが歯がゆい限りであるのだが。

 

  1. 地方は均質化している
  2. 物理的距離を超えたコミュニティの誕生を願う
  3. 福岡はマイクロ東京化しつつも土地の魅力を輝かせられるか

 

たまに鹿児島に帰るのだが、幹線道路沿いを走ると関東の郊外にいるのと変わらない風景が多くなったように思う。

ビックカメラ、マックスバリュ、イオンモールなど、帰ってきたんだっけと思うくらい故郷感がない。

これは出て行った人間のエゴなのだが、故郷の風景は故郷のままであって欲しいと思ってしまう。

おそらく、現地に住んでいる人にとっては、関東の都会並みのサービスが身近に味わえると言うのは喜ばしい事であって、故郷を捨てた人間にどうこう言われる筋合いはないのだと思う。

そもそも出て行った人間が上記のような思いであるというのは、全く知らないのかも知れない。

地方創生だ、ふるさと納税だ、と地域活性を善とする風潮は間違いなくある。

大資本が地方に来る事で雇用が生まれるので、それはそれで一つの解決策なのかな、と思いつつ、地場企業も地域らしさを活かして末永く続いて欲しい。などと、偉そうに、裏切り者のくせに、時々思ってしまう。

自己中甚だしいが、ただの劣化版東京には住みたく無いのだ。

 

東京に比べて劣っている事として、個人的に一番問題に思うのがコミュニティが小さいことである。

エンジニアはエンジニアとして群れたがるという性質を持っている。

群れたがらないエンジニアは、よほど自分に自信があるか、エンジニアをやめようとしているかのどっちかだ。

最新動向をキャッチアップするなら間違いなくいくつか違った分野のコミュニティに顔を出した方が良い。

比較の方法はちょっとアレかもしれないが、福岡でエンジニア求人を探した際、東京と比較して案件数は10分の1であった。

鹿児島だとそもそも機械学習エンジニアで求人は見つからない。レアポケモンよりひどい。

コミュニティの大きさがパラボラアンテナの大きさだとすると、東京にいる事で拾える情報の広さがダンチである。

よほどその地方でないといけない理由がない限り、東京の方が仕事しやすいからには、東京に住んだ方が捗る。すし詰め電車通勤と引き換えになるけども。

 

物理的に近くなきゃいけないという事でもなければ、昨今言われるテレワークのやり方が発達してくればもう少し地方に人口もばらけて行く後押しになる。

国もふるさと納税とかいう、金しか送り込まない施作をやめて、ふるさと就業として人財をテコで動かすガチ施作を実施してほしい。

大企業はシステム開発部門を関東圏に作ってはならん、くらいのインパクトあるやつを求む。

そうすれば、必要にかられて物理的な距離を超えたコミュニティが形成されていくことが期待できる。

 

半分冗談で書いているが、もしそうなった時、移住先にも東京にあったようなお店が身近にあって欲しいと思うのは普通のことで、地方都市のマイクロ東京化が加速するのは当然のことだ。

結局東京と同じとなれば、人の多いところに集まるのが人の性だとすると、その土地ならではの強みを持った企業の存在が人を集め留めるフックとなる。

近年、人口増加が芳しい福岡の行く末が地方都市の教科書となるのではないかと思う。

福岡で部屋探しをした話

転職に伴い、東京から福岡へ移住することとなった。

転職に関する話は下記のエントリーを読んでいただきたい。

超ホワイト企業を退職する話 - shujitの日記

 

今回は、移住のため福岡で家探しをした体験談についてつらつら書いていきたいと思う。

 

  1. 前準備はSUUMO
  2. 人のつてを頼る
  3. 時間の許す限り内覧する

 

遠距離の転居となると、引越し手配や現住居の退去などの調整があるので、引越し先の確定はかなり早めにしておくのが精神衛生上良いかと思う。

さらに、内覧するのに現地に飛ぶというのも何回もできる話ではないので、数日がかりでまとめて行うことになろうかと思う。

 

今回の家探しは、諸々の調整にゆとりをもたせるため、転居予定日の1ヶ月前に決めることを目標に行った。

ちなみに、転居予定日は入社日の1週間前を目標とした。

 

結論から言うと、下記3点があったため無事完了しそうである。

  • 有休消化期間が1ヶ月半あった
  • 人のつてを頼ることが出来た
  • 引越しは転職先のサポートを得ることができた

 

まずは、内覧のため現地に飛ぶ飛行機を手配した。

飛行機の手配は早くすればするほど価格を抑えられる傾向にあるので、予定の設定次第すぐに行うことをオススメする。

内覧予定の1ヶ月前に手配したので、転居予定の2ヶ月以上前にチケットを購入したことになる。

こんな芸当は、入社日までしばらく間を置いてくれる会社である事だから出来ることかなと思う。

もちろん退職前に有休消化をさせてくれる会社であったことも大きい。

 

チケット手配の後は、少しでも確度を上げるためにひたすら家探しである。

気になる物件をリストアップしスクリーニングする作業を何度か行う。

リストアップしたら、現地に飛ぶ一週間前に不動産会社にリストとともにアポイントをとる。

今回、転職先のグループ会社に不動産を扱う会社があったため、そちらを人事部の方から推薦いただいた。

妻が同県出身とはいえ、この地域には土地勘がほぼないため、この点は非常に安心感があった。

(物件の提案ははっきり言って消極的だったのが残念ではあったが、希望の条件を満たした物件の手持ちが偶然無くなってしまっていた、と語っていた)

 

今回は、4日間の予定で現地入りし内覧した。

1日目は、前出の不動産会社に、こちらでリストアップした物件へつれていってもらった。

リストのうち何軒かはすでに申し込み済みとのこと、さらには気に入った物件があったがちょうど申し込みが入ったとのことだった。

1日目は文字通り収穫もなく終わってしまった。

 

次の日は上記不動産以外に飛び込みで入ってみようという話になっていたので、評判の良い不動産会社

を検索しながら滞在先に移動した。

ちなみに、googleの検索からレビューを参考にして探していたのだが、その不動産だけに評価を入れているレビュアーだらけの所は怪しみ溢れるので外した。

また、両親から会社名の近くに記載された番号が若いところは避けろと言われていたので、そういう所も除外した。

この番号は、宅地建物取引の免許番号と言って、5年ごとに更新するのだが更新のたびに1ずつインクリメントされる。

つまり、3であれば11年目以上ということになる。

地域拡大や事業承継の法人化などでリセットされるので目安でしかないが、少なくとも番号が大きければそれだけ業務を続けてきているということになる。

 

2日目は、結局いくつかあった某大手不動産会社の中からレビューの高かった1件に入った。

希望条件をヒアリングの上、いくつか提案してくれた。

だが、正直言って全くの期待外れであった。

特に、予算の上限を1万〜2万超えるものばかりを持ってくることには参った。

予算について再度確認してもやっぱり同じ価格帯の物件を持ってくる。

結局、その中で比較的マッチ度の高い(予算はオーバーだが)一軒の内覧を翌日行うという話にして店を出た。

 

その日は、妻の妹夫妻と昼の食事をすることとなっていたため、その際に状況が芳しくないことを話すと、以前お世話になった不動産屋を紹介してくれるとのことになった。

電話でアポを取ってもらって、食事の後少し休憩をとって向かった。

 

そこは、所謂大手ではなくて町の不動産屋さんといった感じで、年配の女性の方が一人で業務をしているようだった。

なんでも、旦那さんが先日お亡くなりになって、1人で続けているとのこと。

先述の免許番号は14だったが、事業承継のためリセットされたのだと話していた。

それでも、現地でのネームバリューはかなりのものらしく、一旦は畳むつもりであったが同業の方に諭されて続けることにしたらしい。

 

提案の方は、かなり幅広目で提案してくれる。

地域を変え築年数を変え間取りを変え、こちらの反応を見ながら、薦めるところは薦め引くところは引くと言った感じで、内覧先を4個選んでくれた。

寄り添ってくれる感じが居心地が良い。

リストアップした物件に連れて行ってもらい、順位づけをする。

その日は、及第点と言える物件を一つ見つけることができた。

次の日も、エリアを変えて探してみましょうという話にして解散した。

 

3日目、更に5件をリストアップし連れて行ってもらう。

昨日見つけたところより若干良い所があった。

とは言え、満点ではないので事務所に戻って再度リストアップする。

さらに4件ほど内覧に連れて行ってもらい、既出の物件よりもマッチするところがない事を確認し、4日目は予備日としていたことと多少疲れが出てきていたこともあり、一番良い評価の物件で話を進めてもらうことにして家探しを完了することにした。

 

あとは、引越し業者との調整であったが転職先にこれまた物流を業務としている会社があったためそちらをお薦めいただいた。

費用も出していただけるとのことで、様々な業者に相見積もりを取って交渉調整するといった手続きが不要となったので非常に助かった。

日程もこちらの希望通りの日程で調整してもらえたため、これまた飛行機の手配をスムーズに出来た。

 

後は、当日を待つばかりである。

長距離の転居経験は初めてであるが、偶然のような人の繋がりで無事に終えることができそうだ。

改めて、前職や転職先、妻の御親類、周りの人の助けで今自分が健在していることを感じる出来事だった。

これからのアウトプットで直接、間接的に恩返ししていきたい。

ベトナムで空間把握能力を鍛える話

2泊4日でベトナムのハノイに行ってきた。

  1. 空港から市街まで4時間かかる
  2. 道路を渡るのに野生の勘を働かせる必要がある
  3. 食べ物は口に合うし安い

 

空港に着いたのが現地時刻14時ごろ。

旧正月(テトと言う)直前の時期であったためか、入国審査に長蛇の列が形成されていた。

列は整然としたものではなく、一つの大きな塊のよう。

隙を見て前に進まないとなかなか進まない。40分ほどしてようやく入国完了。

トイレへ行ってから荷物受け取りへ進む。

かなり時間が経っているはずだが、コンベアには荷物がまばらにあるだけ。

荷物の源泉とコンベアのところで荷物が衝突し詰まり、コンベアが止まることが何度かありながら、40分くらいしてようやく出てきた荷物をピックアップ。

エントランスに出ると出迎えの人の山。

旅行会社の現地スタッフとの待ち合わせ場所へ行くも、人が多すぎて探せない。

3周ほど同じところをグルグルしてようやく落ち合う。

同行予定の他の日本人旅行者が何人かまだ中にいるらしく、しばらく待ってくれとのこと。

さらに待つこと40分、まだかかりそうなので彼らは別便で、とりあえず集まっている人たちだけ連れて行くことになったらしい。

この時点で到着から2時間。

市街に向かい、それぞれのホテルまで送って行ってもらう。

郊外までは高速道路でスイスイ進むが、市街に近づくにつれ強烈な渋滞が発生する。

渋滞というより、大量の車とバイクが芋洗状態にカオスっている。

一応は信号があるのだが、進めると思ったら進むのが現地流らしい。

私は、スリランカでも同様の光景を目にし、我先に運転と名付けたのだが、こちらの方が凄い。

結局ホテル到着まで2時間。

昼過ぎから観光を楽しむはずが、もう晩御飯の時間になっていた。

テトの時期に行く場合は、空港から市街まで数時間かかると思っていた方が良い。

 

私は、散歩が趣味だ。

観光先でも結構長い距離歩いたりする。

付き合ってくれる妻には感謝しかないが、へたに観光スポットに行くより人々の生活が見えるその辺の散歩の方が好きだったりする。

今回も旧市街と呼ばれるハノイ一番の繁華街を歩いたのだが、結構疲れる。

体力というよりも精神の面で疲れたのだ。

まず、歩道は歩くための道ではなく駐輪場である。

こちらの移動手段はバイクが主流のようで、車の間を大量のバイクがすり抜けていく。

石を詰めた管の中に泥水を流すくらいの勢いでバイクが流れていく。

で、どこに止めるかというとその辺の歩道である。

ちなみに車も歩道のど真ん中にとめてある。

なので、歩道の隙間と車道の端っこをコソコソと歩かないといけない。

あと、クラクションは挨拶がわりに鳴らされるので、日本の道路の静かさに慣れていると本当に精神がゴリゴリ削られる。

道を渡るときも、取り敢えず人が渡ろうとしているからって止まってくれたりはしない。

お互いにぶつからないようにルートどりをするしかない。

車やバイクの予測される進路と自分の相対距離、相対速度から安全を確認しながら渡る。

最初のうちはビクビクしながら渡るしかなかったが、現地の人が渡ろうとしているのに合わせて渡るうちに勝手がわかってくる。

取り敢えず、赤でも渡れそうなら渡る。結局青になったところで渡れる保証がないのだ。

 

1日目はほぼ移動で潰れたが、2日目3日目は丸々楽しむことができた。

主にベトナムの料理の食べ歩きをしたのだが、めちゃくちゃ口に合う。

日本ではパクチー山盛り!みたいなイメージがあるが、現地では香りづけ程度にしか使っていない。

フォーやブン料理といった定番どころに連れて行ってもらったが、特に美味しかったのはブンタンという料理だ。

鶏、しいたけを使ったスープに、ブンと割いた鶏肉、錦糸卵、パクチーなどの香草を入れた麺料理なのだが、奄美の鶏飯にとても似ている。

どこかでルーツは繋がるのではないかと思うほどに似ていた。

その他の料理も、日本人の口にとても合うと思った。

さらに言うとめちゃ安い。日本の外食費の半分くらいで食べれる。

 

騒々しくて疲れると思ったところもあったが、総じて活気があり元気をもらえるところかなと思った。

日本の人々は疲れている顔をしている人が多いが、ハノイの人の目にはしっかりと光が灯っているように見えた。

今より良くなる未来を真正面に見据えているような目だった。

ビジネスサイドの人間もデータベースの正規化くらいできないとダメ

システム屋と言えどもビジネスについて多少なり知識を持っていなくてはいけない。

そんな話を聞いたことがないSEはいないんじゃないだろうか。

 

この間も、IT部門であってもビジネスマンとしてB/S、P/Lぐらいは読めんといかん。

というお言葉をちらっと耳にした。

ビジネスとシステム部門の現場レベルで、共通の知識があれば翻訳する手間が要らず、共通のゴールに向けてスピーディに物事を進められるし、

ビジネスの課題に直結した解決案などがシステム部門から上がってくることも期待できるので、仰ることもごもっともであると思っている。

デメリットは、システムがビジネスに忖度しすぎる恐れが出てくる、くらいか。

 

私は前々職で新規事業の開発プロデューサー的役割を任せていただいていたので、

ミッション遂行のための学習の一環として、中小企業診断士の資格を勉強しており、多少なりB/SもP/Lもキャッシュフロー計算書も読める。

退職後に資格を取得し、5社程度ではあるがコンサルを行なったこともあるので、課題の発見から具体的改善施策の提案までの経験があるエンジニアである。

 

そういった経験があると、どうしてそれをやりたいのかの理解を手助けしてくれるので、阿吽の呼吸で進められるし、逆提案をすることも可能になるので非常に楽しくエンジニアリングが出来る。

 

だが、ここで声を大にして言いたいのは、その逆もまた然りであるということだ。

ビジネスの人間もシステムの知識を持って欲しい。

ExcelやWordが使えるとか、CTRL+Cでコピー出来るとか、F7キーでカタカナ変換できるとかいうのではなく、

掲題の通りデータベースの正規化が出来るとか、2つの表を繋げるクエリが書けるとか、アジャイル開発とはなんたるかを語れるとか、インタプリタとコンパイラの言語の違いを知ってるとか、そういう奴だ。

 

先出の資格の1次試験問題の過去問をパラパラと見て欲しい。

それくらいのレベル感だということがお分かりいただけると思う。

(以前はHDDのシーク時間がどうとかいう誰得問題もあった。今はSSDばっかりなので出ないと思う。)

それくらい歩み寄らなければフェアじゃないと思う。

やっぱり気持ちよく仕事したいよね。こちらからは以上です。

人工知能にも劣る

家に帰ると取り敢えずTVを付ける。

一人暮らしのひとが大抵やるという、BGM的に付けておいて何か別のことをするという使い方だ。

 

2人暮らしになった今は、どちらかというと内容をちゃんと聴くようになってしまった。

なってしまった、というのは、ちゃんと聴くことによってデメリットが発生しているからだ。

それは、供給のための活動時間が減ってしまったことだ。

インプットが過多になってしまい、アウトプットをする時間を十分に取れていない。

 

自分の中では、インプットを消費、アウトプットを供給という経済活動と捉えている。

街に出て美味しいものを食べる、とか、カフェで技術書を読む、とかは消費で、

コードを書く、とか、ダンスを人に教える、とかは供給という考えだ。

 

インプットは楽しい、お金さえ払えば食欲や知識欲などを満たしてくれる。

アウトプットも楽しいと言えば楽しいが、心構えや辛抱強さだったりが必要で、心理的負担がインプットよりも遥かに高いと感じている。

 

ハードルが高くなかなか着手するための気持ちの整理に時間がかかってしまうのだが、

アウトプットすることこそ、個人が外界に影響を与えられるたったひとつの方法であるからには、

TV局の供給するコンテンツをひたすら消費するだけの日々を送ってはいけないな。と思っている。

 

人工知能は、質の悪い教師データしかなく、その上さほどトレーニングをしていないとしても、インプットさえ与えてやれば、クソの役にも立たないと思うが何かしらの結果を即時にアウトプットすることができる。

今の自分より健気に頑張ってるじゃあないか。そんな風に考えると、重い腰を上げてアウトプット頑張らんといかんなぁ、と思いたち寝る前にこのエントリーに書いた。

超ホワイト企業を退職する話

2019年の初エントリーが退職エントリーなのはどうかとも思ったのだが、むしろ節目にふさわしいかなと思い書くことにした。

 

表題のとおり、今年早々にホワイト企業を退職することになっている。

退職の理由は色々と複合しているので語ると長くなってしまうのだが、大きく下記3点である。

  1. 学習の速度が鈍化してしまっているため、学習のサイクルが早い環境に身を置きたい
  2. 社会的課題の解決に関わるような業務に携わりたい
  3. 福岡で働いてみたい

 

まず1点目、これは職場に伝えている退職理由であると同時に大きなウェイトを占める理由である。

自身のキャリアについて少し書いておくと、Webエンジニア12年で直近2年程は兼務として機械学習エンジニアのさわりのような仕事をしている。

機械学習エンジニアは数名ほどしかいないため、書籍や動画学習メインに、社外の勉強会に少し顔を出すなどしてスキルアップを図ってきた。

個人で学習したことを組織学習に生かすダブルループに持っていきたい。

データ分析、仮設設定、モデルを構築し、サービスに適用して検証、そのフィードバックを受けてさらなる個人学習へ活かしたい。

そういった個人学習と組織学習の好循環を高速で回していきたいという思いがあったのだが、先述の通り機械学習系のエンジニアは少数であることに加えて、縦割りの強い組織であることからサービスインまでもっていくのにどれだけ時間がかかるのか分からなかった。

さらに、自部署内でできるものについてもベンダーさん頼りの部分があり、コアとなるモデルの構築もベンダーさんにお願いしている状況であった。

組織としてはエンジニアの増強を掲げてはいたのだが、昨今のエンジニア需要の高まりのため進捗は芳しくない。

1年前に、目標1年後2倍とされていたと記憶しているのだが、結果横ばいの状況である。

機械学習まわりの盛り上がり具合はこの2年で爆発的に高まってきており、今後の数年を今の環境で過ごすことは得策ではないと判断した。

 

2点目、これは父の仕事から影響を受けているのかなと自己分析しているのだが、社会的な課題となっているものを解決するということを生業にしていきたいと思っている。

ちょっと打算的な言い方をしてしまえば、社会に必要とされている仕事をしていれば食いっぱぐれることはない。

インパクトが大きく、かつ自分の特性に合っている業務内容であればあるほど評価は高くなる。

そのうえで、自身の知的好奇心と少しの承認欲求が満たされていれば満足なのである。

自分の夢は、宇宙に関する仕事をすることと死ぬときに感謝されながら死ぬ。というものなので、自己実現は死ぬときに達成されていれば良い。

 

最後に3点目、これは個人的な理由も混じってはいるのだが、私は九州出身で大学から東京、就職後もずっと東京だったので、東京以外できれば九州で働いてみたいと思っていた。

妻も九州出身であり、実家が近く子育ても安心だ。東京ですくすくと育てる自信があまりないというのもある。

仕事的な理由で言えば、昨今の福岡におけるITの盛り上がりもある。

IoTや機械学習のベンチャーがいくつも生まれており、LINEさんやZOZOさんメルさんといった大きなところもこぞって開発拠点を立ち上げている。

乗るしかない。

 

さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが、そんなわけで超ホワイト企業であるところの現職を辞めることにしたのである。

上の方で現職をディスっているように受け取られる方もいるかもしれないが、音楽性の違いというだけで、同僚給与福利厚生に全く不満はない。

その一端をご紹介しておくと、

  1. Web系勉強会充実
  2. チャレンジする姿勢を評価
  3. エンジニア積極採用
  4. 残業代全支給
  5. 有給休暇はかなり自由に取得可能

 

1つ目、毎週小さめの勉強会、月1で大きめの勉強会が開催されている。

それぞれ自由参加で喋りたい人が喋る。

大きいほうにはピザやアルコールも出たりなんかする。

加えて言うと、親会社であるところの某Tech企業との技術交流も少なからずある。

 

2つ目、アーキテクチャやフレームワーク、言語は好きに選べる。

とは言え前提条件もあるしレビューのチェックも入る。

なので、社内的に未踏の部分であればあるほど自分の好きに出来る。

 

3つ目、辞める人間であり心苦しい部分もあるが超頑張っている。

さまざまなチャネルでアッピールが飛んでいるのできっと目にしている方も居ると思う。

積極採用するが妥協はしないというスタンスなので同僚となる人財のスキルの高さは間違いない。

 

4つ目、法的には普通のことなのだが、みなしを超えた分は全額出る。

なんなら1分単位で清算される。

もちろん、裁量労働制の場合はその範囲外であるがその場合も不満を持つような額にはならないはず。

 

5つ目、よっぽどでない限り申請が却下されることはない。

お盆などのシーズンを敢えてさけて取る。といった取り方もすんなり通る。

もちろん調整はいるが、誰かが休んでも回るような仕組みにしようという一体感を感じる。

消化率には個人差があるように思えるが、取りたくても取れないといった声は聞いたことがない。

 

以上、転職に踏み切った理由と、いかに現職場を愛しているかをまとめてみた。

残りの時間で、自分が確かにそこにいたという影をこっそり残していけるようにしたいと思う。

2018年振り返り

年の瀬ですね。

最初のエントリーで2018年を振り返ってみようと思う。

 

この一年は業務の内容がガラッと変わった一年だった。

Webエンジニア12年というキャリアなのだが、この2年機械学習エンジニアのさわりのようなこともやっていた。

去年の11月からは、ビッグデータの収集とクレンジング、分析など、ほぼデータエンジニア的な業務を行ってきた。

Webエンジニアリングとテンポ感も変わるし使う言語、フレームワークも全く違うものになった。

社内的にはあまり整備されていないところだったので、結構好きにできるというのは面白かったし、そういう働き方の方が向いてるのかなとも思った。

 

ようやく集めたデータの見える化が加速してきた感じはある。

ただ、その先の機械学習については研究程度にとどまっているので、モデルのサービスインはまだ先になるのかなと思う。

Auto MLなど出来合いのものを使えばすぐできそうな感じもあるのだが、業務に耐えられるパフォーマンスを出せるかというと、モデルの再構築やチューニングをしっかりやらないといけない。

いずれにせよ、機械学習の内製化というのは結構長い道のりになるのではないかなと感じている。

 

 

来年は環境を変え、機械学習メインの環境で働くことになっているので、多くを学びたいと思う。