人工知能にも劣る

家に帰ると取り敢えずTVを付ける。

一人暮らしのひとが大抵やるという、BGM的に付けておいて何か別のことをするという使い方だ。

 

2人暮らしになった今は、どちらかというと内容をちゃんと聴くようになってしまった。

なってしまった、というのは、ちゃんと聴くことによってデメリットが発生しているからだ。

それは、供給のための活動時間が減ってしまったことだ。

インプットが過多になってしまい、アウトプットをする時間を十分に取れていない。

 

自分の中では、インプットを消費、アウトプットを供給という経済活動と捉えている。

街に出て美味しいものを食べる、とか、カフェで技術書を読む、とかは消費で、

コードを書く、とか、ダンスを人に教える、とかは供給という考えだ。

 

インプットは楽しい、お金さえ払えば食欲や知識欲などを満たしてくれる。

アウトプットも楽しいと言えば楽しいが、心構えや辛抱強さだったりが必要で、心理的負担がインプットよりも遥かに高いと感じている。

 

ハードルが高くなかなか着手するための気持ちの整理に時間がかかってしまうのだが、

アウトプットすることこそ、個人が外界に影響を与えられるたったひとつの方法であるからには、

TV局の供給するコンテンツをひたすら消費するだけの日々を送ってはいけないな。と思っている。

 

人工知能は、質の悪い教師データしかなく、その上さほどトレーニングをしていないとしても、インプットさえ与えてやれば、クソの役にも立たないと思うが何かしらの結果を即時にアウトプットすることができる。

今の自分より健気に頑張ってるじゃあないか。そんな風に考えると、重い腰を上げてアウトプット頑張らんといかんなぁ、と思いたち寝る前にこのエントリーに書いた。