テニスを始めた話

体を動かしたすぎて何故かテニススクールに体験レッスンを受けに行った結果、入会までしてしまった話をする。

  • テニスと自分
  • スクールに行ってみたわけ
  • テニス楽しかった

 

まず、テニスと自分の関係について語ろうと思う。

中学時代は卓球部で、もっと動きたいなーという落ち着きのなさで高校からはテニス部に入った。

入ったはいいが、1年半ほどで幽霊部員になりそのままフェードアウトした。

つまらなかった訳ではないのだけど、週1くらいが飽きないくらいでちょうどいいかな。と思うようになり、とはいえ部活は毎日やらなきゃならない苦行なので結局行かなくなった。

大学では体育の授業がありテニスを選択したのだが、講義が週1ペースだったので非常に心地よかった。

単位が取れたと同時にラケットを捨てたのでそこからは一切テニスをしていなかった。

 

じゃあなぜ今更戻ってきたのか。

話は変わるが、大学以来、私の趣味はダンスである。

福岡に来て1ヶ月、踊る場所を探してきた。

平日の結構遅い時間に練習会やってる社会人サークルはないか、とか土日で良さげなレッスンがないか。とか、まぁ探した。

結果、サークルは見つからないし良さげなレッスンは平日の夕方くらいだった。

週に1度、少なくとも隔週で1度は踊っていないと調子が出ない。

禁断症状でチャリンコを乗り回してしまう病を発症してしまった。

そんな悶々とした日々を過ごしていたところ、会社や取引先の人たちが最近テニスを始めたという話を聞いた。

近々、テニスコートを借りて一緒にやろうかという話になっていた。

気づいたら私も参加することになったので、せめてラリーを続けられるぐらいまでにはなっておきたいと思い、長すぎるブランクをちょっとでも埋めるべくスクールの門をくぐることにしたのである。

 

流石に10数年のブランクがあるので、入門的なコースで体験レッスンを予約した。

思い立ったが吉日で、その翌日に体験できないかお願いしたのだが電話の向こうでアジリティ溢れる調整をしていただいたようで枠にねじ込んでもらえた。

スクールに入って驚いたのが、スタッフがすごい丁寧、あと笑顔。

↓のエントリでも書いたが、福岡人は喋り好き、めちゃめちゃ話しかけてくる。 

blog.shujit.com

 先生は、大学生くらい?レッスンは私を含めて5名いたのだが、それぞれのレベルに合わせた球出しをしてくれる。

1to1の顧客対応。すごい。

私の場合、30分もするとだんだんと感覚が戻ってきていい具合な返球ができるようになってきたところで、前後左右に揺さぶるような球出しをしてくるようになった。

ドSに違いない。

 

そんな訳で、気持ち良い汗をかいたので気持ちよく入会申し込みにサインしてきた。

頑張って取引先の人にダッシュ波動球をお見舞いしたいと思う。

東京から福岡に移住して1週間たった話

1週目が終了したので、東京と大きく違うなと感じた点をまとめてみる。

  • ゴミ出しのルールが違う
  • 地下鉄が地味に高い
  • カフェとパン屋が多い
  • お話好きな人が多い
  • 湿度が高い
  • 飲み屋にハズレがない

 

ゴミ出しのルールが違う

まず、ゴミ袋は指定された物を購入する必要がある。

半透明のものであればなんでも良いとする東京都違い、きちんと唯一指定されたゴミ袋が存在する。

燃えるゴミ、燃えないゴミ、空き瓶ペットボトル用と3種類あり、用途とリットル数の違いで1枚当たりの値段が違う。

例えば、燃えるゴミ45リットルは45円となっている。

詳細は、福岡市 家庭ごみの出し方(ごみ出しルール)を参照してほしい。

上記の3種類は収集してくれるが、資源ごみは指定の集積所に直接持っていく必要がある。

区役所も集積所になっており、引越しの際に、不動産屋の方が区役所が近くて良いですね。と言っていたのだが、その意味がやっとわかった。

さらに、収集してくれる3種類のうち、燃えないゴミと空き瓶ペットボトルについても収集の頻度が低く、それぞれ月1回である。

 

地下鉄が地味に高い

市営地下鉄は、初乗り200円だがちょっと遠くなると260円になる。

東京ではメトロ沿線に住んでいたことがあるのだが、10キロ程度であれば200円圏内であったのが、福岡では5キロ程度で260円ほどになる。

バスが発達しているのだが、車社会であることもあり道路の混雑状況が読めないため、シビアな乗り換えがある、とか、予定の時間に間に合うようにいくためにある程度のバッファを見なければいけない。という感じなのでなかなか享受できていない。

結論としては、4キロ圏内であれば自転車最強となる。

 

カフェとパン屋が多い

チェーン店もそれなりにあるといえばあるが、なんと言っても個人or小規模のカフェやパン屋が多い。

その辺の小道沿いに評価の高い店がポンとあったりするので驚く。

味も雰囲気も非常に多様性に富んでいる。

福岡市民はその多様性を楽しんでいる節があり、自分の好みはどこだ。自分はそこよりここだ。みたいな会話を繰り広げている。

その結果、いくべき店が増えすぎて困る。

 

お話好きな人が多い

とにかく店員に話しかける客が多い。

常連さんでなくとも話しかけているし、なんなら他の客に話しかけている。

しかし不快な絡みではない。

家探しの時に同行してくれた不動産屋の方(40代男性)が、紹介物件の1階に入っている美容院の前でビラ配りしている店員さん(20代女性)にごく自然に世間話を仕掛けた時は陽キャか?と思ったが、どうやら標準らしいというのに最近気付いた。

 

湿度が高い

晴れの日は、東京はこの時期35%くらいまで落ちるが、福岡は40%くらいはある。

髪のセットは東京にいた時と変える必要がある人もいると思う。

肌にはとても優しい。

 

飲み屋にハズレがない

東京は絶対あたりの店にいけばハズレないしあたりの得点が高いが、福岡の場合は適当に入った店でもハズレない。

かと言って、高得点の店となると東京より多いというわけではなさそう。

福岡飯はうまい。というのはとにかくハズレがないからなのではないか説を提唱したい。

 

良いも悪いもまとめて、大きく違うなと感じた点をまとめてみた。

移住をご予定の方がいれば、参考にしていただけると心理的にスムーズに移住が完了すると思う。

人の夢を聞く話

人が働くモチベーションはなんだろな、というのは組織論を学んだことのある人なら間違いなく通る問いの一つだ。

マズローやハーズバーグなど昔の人たちの考え方から学ぶことでパワハラなど恐怖による支配がなぜ短期的な効果しかもたらさず持続性がないかを体系的に知ることができる。

それでもパワハラが無くならないのは、そもそもそう言った理論を学んだことがないか、思考回路がちょっと違っているか、その人自身が精神的に弱った状況におかれていて長期的な判断が出来ないかのどれかなのかな、と思う。

 

長期的で持続可能な効果を出すためには、メンバーのコミットメントを得ることが第一である。

私は、前々職で新規サービスの企画ディレクション兼開発リーダー兼技術営業という何でも屋的ロールに置かれていた。

専任は私だけで、ほかの方々は受託開発業務との兼務という形だった。

受託開発は金のなる木で新規サービスは問題児という扱いなので、当然兼務メンバーのコミットメントは受託開発に注がれてしまい得ることは難しかった。

明日の飯のタネが重要であることは明白で、これは個人の資質の話ではなく立場からくる違いである。

私の立場には新規サービス以外にコミットメントを注ぐための逃げ場が無かったというだけに過ぎない。

そんな中でコミットメントを得るために唯一効果的だったのは、その人の夢を聞くという行為だった。

その人が何を成したいかという、生きることの価値とでもいうのだろうか。

 

自分の思い描く夢が、当該活動の延長上にある。という確信を持っている時、その人のポテンシャルが十分に発揮されている状態になるのだと感じた。

そのため、マネジメントする人間には、その人の夢を聞き出すヒアリング力と業務のその先にその人の夢が来るように想像力を発揮する手助けをするサポート力が必要となる。

 

私は唯一の専任メンバーとしてほぼ全てのメンバーと対話することになり、人とは何か、人生で何を成したいのか、そんな話を事業開発そっちのけで夜遅くまで繰り広げることになった。

そんな中で思ったのが、マネジメントする人間こそが自分の夢を持っていなければいけないということだ。

夢を持たない、またはあやふやな夢しか持たない人間に、他人の夢の実現をサポートするのは難しい。

 

あなたの夢は何ですか、という話をすると

アーリーリタイアとか都内に一軒家とか、そう言うのは色々出てくるだろうが、そう言うものはよくよく深掘りしていくと目的ではなく手段であったりする。

真の目的であるところの夢、を語ると言うのは非常に恥ずかしい行為だ。

私も夢を面と向かって語るのは恥ずかしい。

しかし、まずは自分から語ることが重要であり、その夢も十分な思考の繰り返しにより生み出されていることが求められるのだと思う。

 

今のところ、私の中では、その人が生きて死ぬことに価値を持たせることができている状態を夢が実現している状態だと定義している。

その夢と、現実の業務とを結ぶ線を見つけることでコミットメントを得、モチベーションを高めることができる。

この考え方には一つ重大な弱点があって、自分の生に価値を持たせる必要を感じないとか価値を持たせたくない。と言う人からコミットメントを得ることはほぼ不可能だと断じてしまう点にある。

かと言って、他人に夢を持つことを強いるのは傲慢であると思っている。

考え方のバージョンアップではなくパラダイムシフトが必要だが、なかなか殻を破れないでいる。

六本木で九州の空気を吸う話

高校の時の同級生が、私が福岡に行く前にぜひ連れて行きたいと言っていたお店に連れて行ってくれた。

六本木駅の交差点からすぐの雑居ビルに入っている串焼き屋さんだった。

女将さんを中心に、九州出身者の人財ネットワークがゆるく形成されているような感じで同じ空気を吸って育ってきた人々が集まっているような雰囲気があった。

女将さんは鹿児島出身で旦那さんが福岡出身。

旦那さんは博多で同じように串焼きのお店を切り盛りしている、というかなりアクティブなご夫婦である。

 

同級生は、大手の某損保会社からこれまた大手の某携帯キャリアに出向しているというキワモノの経歴を持っている。

以前より、彼を含めW大の臨時講師件コンサルファーム所属の博士持ちや私と同じ大学卒のみかか系コンサルの同窓生4人で飲んだりしていた。

今回誘ってくれた彼と私はG検定持ちで、会えば必ず機械学習の話で盛り上がる。

 

彼は、理工系の学部を出て営業職で会社に入り、九州に赴任した経験もあり、また大学時代には同県出身者だけが入れる学生寮にいたため、人脈はかなりあるようだ。

なんでも、女将さんの息子さんと大学で同級生だったの事。

 

どちらかと言うと、私は雑談苦手で、業務の話でいけば自分一人でなんでもしたい、人の力を借りる=その人に迷惑をかける、という考えの人間なので、人との繋がりは広く浅く組み立てられない人間だ。

なので、彼のような人を見ると羨ましく思うのだが、その彼の人財レパートリーに入っていることが嬉しくもあったりする。

 

その日も、近況の話から始まり、昨今のAIバブルっぷりに危機感を覚える話をし、どうしたら鹿児島の経済発展に貢献できるかといったいつものおしゃべりコースを楽しんでいた。

カウンター席の真ん中あたりに並んで飲んでいたのだが、ちらちらと隣の席から人工知能のワードが聞こえてくるのが気になっていた頃、不意にそのグループから話しかけられた。

聞くと建築系の会社に勤める方々で、年は60前くらいだそうだ。

人工知能とは一見遠い業界にいるが、そういう業界で如何にその技術を活かすかという話題はホットなんだという。

声をかけてくださったのは、3名いたうちの1名が私たちと同じく鹿児島出身らしく、やはりこちらの話もチラチラ聞こえて気にしていたらしい。

 

そのあとは、ローカルトークをしたり、今度私が福岡に行くと言う話で色々助言を頂いたり、女将さんを交えて奥の席に同じ大学出身の誰々さんがいる、といった話でひとしきり盛り上がった。

ほんの少しの共通点があるだけで何故これほど繋がりを感じられるのか、と思った。

 

自分はもしかしたら、そういうほんの小さな共通点に価値を見出さないままここまで来てしまったのかも知れない。

もう少しこのお店に早く出会うことができたなら或いはもっと多くの人と出会えていたのではないかと考えるとこの空間から、東京から離れるというのを非常に寂しいと感じた。

福岡に行ったらできるだけ早く旦那さんのお店に行こうと思う。

 

地方創生のこれからの話

私は鹿児島が好きだ。

次いで福岡が好きだし、東京よりは全ての九州県を好きである自信がある。

好きであるという事と住みたいという事がイコールでないのが歯がゆい限りであるのだが。

 

  1. 地方は均質化している
  2. 物理的距離を超えたコミュニティの誕生を願う
  3. 福岡はマイクロ東京化しつつも土地の魅力を輝かせられるか

 

たまに鹿児島に帰るのだが、幹線道路沿いを走ると関東の郊外にいるのと変わらない風景が多くなったように思う。

ビックカメラ、マックスバリュ、イオンモールなど、帰ってきたんだっけと思うくらい故郷感がない。

これは出て行った人間のエゴなのだが、故郷の風景は故郷のままであって欲しいと思ってしまう。

おそらく、現地に住んでいる人にとっては、関東の都会並みのサービスが身近に味わえると言うのは喜ばしい事であって、故郷を捨てた人間にどうこう言われる筋合いはないのだと思う。

そもそも出て行った人間が上記のような思いであるというのは、全く知らないのかも知れない。

地方創生だ、ふるさと納税だ、と地域活性を善とする風潮は間違いなくある。

大資本が地方に来る事で雇用が生まれるので、それはそれで一つの解決策なのかな、と思いつつ、地場企業も地域らしさを活かして末永く続いて欲しい。などと、偉そうに、裏切り者のくせに、時々思ってしまう。

自己中甚だしいが、ただの劣化版東京には住みたく無いのだ。

 

東京に比べて劣っている事として、個人的に一番問題に思うのがコミュニティが小さいことである。

エンジニアはエンジニアとして群れたがるという性質を持っている。

群れたがらないエンジニアは、よほど自分に自信があるか、エンジニアをやめようとしているかのどっちかだ。

最新動向をキャッチアップするなら間違いなくいくつか違った分野のコミュニティに顔を出した方が良い。

比較の方法はちょっとアレかもしれないが、福岡でエンジニア求人を探した際、東京と比較して案件数は10分の1であった。

鹿児島だとそもそも機械学習エンジニアで求人は見つからない。レアポケモンよりひどい。

コミュニティの大きさがパラボラアンテナの大きさだとすると、東京にいる事で拾える情報の広さがダンチである。

よほどその地方でないといけない理由がない限り、東京の方が仕事しやすいからには、東京に住んだ方が捗る。すし詰め電車通勤と引き換えになるけども。

 

物理的に近くなきゃいけないという事でもなければ、昨今言われるテレワークのやり方が発達してくればもう少し地方に人口もばらけて行く後押しになる。

国もふるさと納税とかいう、金しか送り込まない施作をやめて、ふるさと就業として人財をテコで動かすガチ施作を実施してほしい。

大企業はシステム開発部門を関東圏に作ってはならん、くらいのインパクトあるやつを求む。

そうすれば、必要にかられて物理的な距離を超えたコミュニティが形成されていくことが期待できる。

 

半分冗談で書いているが、もしそうなった時、移住先にも東京にあったようなお店が身近にあって欲しいと思うのは普通のことで、地方都市のマイクロ東京化が加速するのは当然のことだ。

結局東京と同じとなれば、人の多いところに集まるのが人の性だとすると、その土地ならではの強みを持った企業の存在が人を集め留めるフックとなる。

近年、人口増加が芳しい福岡の行く末が地方都市の教科書となるのではないかと思う。

福岡で部屋探しをした話

転職に伴い、東京から福岡へ移住することとなった。

転職に関する話は下記のエントリーを読んでいただきたい。

超ホワイト企業を退職する話 - shujitの日記

 

今回は、移住のため福岡で家探しをした体験談についてつらつら書いていきたいと思う。

 

  1. 前準備はSUUMO
  2. 人のつてを頼る
  3. 時間の許す限り内覧する

 

遠距離の転居となると、引越し手配や現住居の退去などの調整があるので、引越し先の確定はかなり早めにしておくのが精神衛生上良いかと思う。

さらに、内覧するのに現地に飛ぶというのも何回もできる話ではないので、数日がかりでまとめて行うことになろうかと思う。

 

今回の家探しは、諸々の調整にゆとりをもたせるため、転居予定日の1ヶ月前に決めることを目標に行った。

ちなみに、転居予定日は入社日の1週間前を目標とした。

 

結論から言うと、下記3点があったため無事完了しそうである。

  • 有休消化期間が1ヶ月半あった
  • 人のつてを頼ることが出来た
  • 引越しは転職先のサポートを得ることができた

 

まずは、内覧のため現地に飛ぶ飛行機を手配した。

飛行機の手配は早くすればするほど価格を抑えられる傾向にあるので、予定の設定次第すぐに行うことをオススメする。

内覧予定の1ヶ月前に手配したので、転居予定の2ヶ月以上前にチケットを購入したことになる。

こんな芸当は、入社日までしばらく間を置いてくれる会社である事だから出来ることかなと思う。

もちろん退職前に有休消化をさせてくれる会社であったことも大きい。

 

チケット手配の後は、少しでも確度を上げるためにひたすら家探しである。

気になる物件をリストアップしスクリーニングする作業を何度か行う。

リストアップしたら、現地に飛ぶ一週間前に不動産会社にリストとともにアポイントをとる。

今回、転職先のグループ会社に不動産を扱う会社があったため、そちらを人事部の方から推薦いただいた。

妻が同県出身とはいえ、この地域には土地勘がほぼないため、この点は非常に安心感があった。

(物件の提案ははっきり言って消極的だったのが残念ではあったが、希望の条件を満たした物件の手持ちが偶然無くなってしまっていた、と語っていた)

 

今回は、4日間の予定で現地入りし内覧した。

1日目は、前出の不動産会社に、こちらでリストアップした物件へつれていってもらった。

リストのうち何軒かはすでに申し込み済みとのこと、さらには気に入った物件があったがちょうど申し込みが入ったとのことだった。

1日目は文字通り収穫もなく終わってしまった。

 

次の日は上記不動産以外に飛び込みで入ってみようという話になっていたので、評判の良い不動産会社

を検索しながら滞在先に移動した。

ちなみに、googleの検索からレビューを参考にして探していたのだが、その不動産だけに評価を入れているレビュアーだらけの所は怪しみ溢れるので外した。

また、両親から会社名の近くに記載された番号が若いところは避けろと言われていたので、そういう所も除外した。

この番号は、宅地建物取引の免許番号と言って、5年ごとに更新するのだが更新のたびに1ずつインクリメントされる。

つまり、3であれば11年目以上ということになる。

地域拡大や事業承継の法人化などでリセットされるので目安でしかないが、少なくとも番号が大きければそれだけ業務を続けてきているということになる。

 

2日目は、結局いくつかあった某大手不動産会社の中からレビューの高かった1件に入った。

希望条件をヒアリングの上、いくつか提案してくれた。

だが、正直言って全くの期待外れであった。

特に、予算の上限を1万〜2万超えるものばかりを持ってくることには参った。

予算について再度確認してもやっぱり同じ価格帯の物件を持ってくる。

結局、その中で比較的マッチ度の高い(予算はオーバーだが)一軒の内覧を翌日行うという話にして店を出た。

 

その日は、妻の妹夫妻と昼の食事をすることとなっていたため、その際に状況が芳しくないことを話すと、以前お世話になった不動産屋を紹介してくれるとのことになった。

電話でアポを取ってもらって、食事の後少し休憩をとって向かった。

 

そこは、所謂大手ではなくて町の不動産屋さんといった感じで、年配の女性の方が一人で業務をしているようだった。

なんでも、旦那さんが先日お亡くなりになって、1人で続けているとのこと。

先述の免許番号は14だったが、事業承継のためリセットされたのだと話していた。

それでも、現地でのネームバリューはかなりのものらしく、一旦は畳むつもりであったが同業の方に諭されて続けることにしたらしい。

 

提案の方は、かなり幅広目で提案してくれる。

地域を変え築年数を変え間取りを変え、こちらの反応を見ながら、薦めるところは薦め引くところは引くと言った感じで、内覧先を4個選んでくれた。

寄り添ってくれる感じが居心地が良い。

リストアップした物件に連れて行ってもらい、順位づけをする。

その日は、及第点と言える物件を一つ見つけることができた。

次の日も、エリアを変えて探してみましょうという話にして解散した。

 

3日目、更に5件をリストアップし連れて行ってもらう。

昨日見つけたところより若干良い所があった。

とは言え、満点ではないので事務所に戻って再度リストアップする。

さらに4件ほど内覧に連れて行ってもらい、既出の物件よりもマッチするところがない事を確認し、4日目は予備日としていたことと多少疲れが出てきていたこともあり、一番良い評価の物件で話を進めてもらうことにして家探しを完了することにした。

 

あとは、引越し業者との調整であったが転職先にこれまた物流を業務としている会社があったためそちらをお薦めいただいた。

費用も出していただけるとのことで、様々な業者に相見積もりを取って交渉調整するといった手続きが不要となったので非常に助かった。

日程もこちらの希望通りの日程で調整してもらえたため、これまた飛行機の手配をスムーズに出来た。

 

後は、当日を待つばかりである。

長距離の転居経験は初めてであるが、偶然のような人の繋がりで無事に終えることができそうだ。

改めて、前職や転職先、妻の御親類、周りの人の助けで今自分が健在していることを感じる出来事だった。

これからのアウトプットで直接、間接的に恩返ししていきたい。

ベトナムで空間把握能力を鍛える話

2泊4日でベトナムのハノイに行ってきた。

  1. 空港から市街まで4時間かかる
  2. 道路を渡るのに野生の勘を働かせる必要がある
  3. 食べ物は口に合うし安い

 

空港に着いたのが現地時刻14時ごろ。

旧正月(テトと言う)直前の時期であったためか、入国審査に長蛇の列が形成されていた。

列は整然としたものではなく、一つの大きな塊のよう。

隙を見て前に進まないとなかなか進まない。40分ほどしてようやく入国完了。

トイレへ行ってから荷物受け取りへ進む。

かなり時間が経っているはずだが、コンベアには荷物がまばらにあるだけ。

荷物の源泉とコンベアのところで荷物が衝突し詰まり、コンベアが止まることが何度かありながら、40分くらいしてようやく出てきた荷物をピックアップ。

エントランスに出ると出迎えの人の山。

旅行会社の現地スタッフとの待ち合わせ場所へ行くも、人が多すぎて探せない。

3周ほど同じところをグルグルしてようやく落ち合う。

同行予定の他の日本人旅行者が何人かまだ中にいるらしく、しばらく待ってくれとのこと。

さらに待つこと40分、まだかかりそうなので彼らは別便で、とりあえず集まっている人たちだけ連れて行くことになったらしい。

この時点で到着から2時間。

市街に向かい、それぞれのホテルまで送って行ってもらう。

郊外までは高速道路でスイスイ進むが、市街に近づくにつれ強烈な渋滞が発生する。

渋滞というより、大量の車とバイクが芋洗状態にカオスっている。

一応は信号があるのだが、進めると思ったら進むのが現地流らしい。

私は、スリランカでも同様の光景を目にし、我先に運転と名付けたのだが、こちらの方が凄い。

結局ホテル到着まで2時間。

昼過ぎから観光を楽しむはずが、もう晩御飯の時間になっていた。

テトの時期に行く場合は、空港から市街まで数時間かかると思っていた方が良い。

 

私は、散歩が趣味だ。

観光先でも結構長い距離歩いたりする。

付き合ってくれる妻には感謝しかないが、へたに観光スポットに行くより人々の生活が見えるその辺の散歩の方が好きだったりする。

今回も旧市街と呼ばれるハノイ一番の繁華街を歩いたのだが、結構疲れる。

体力というよりも精神の面で疲れたのだ。

まず、歩道は歩くための道ではなく駐輪場である。

こちらの移動手段はバイクが主流のようで、車の間を大量のバイクがすり抜けていく。

石を詰めた管の中に泥水を流すくらいの勢いでバイクが流れていく。

で、どこに止めるかというとその辺の歩道である。

ちなみに車も歩道のど真ん中にとめてある。

なので、歩道の隙間と車道の端っこをコソコソと歩かないといけない。

あと、クラクションは挨拶がわりに鳴らされるので、日本の道路の静かさに慣れていると本当に精神がゴリゴリ削られる。

道を渡るときも、取り敢えず人が渡ろうとしているからって止まってくれたりはしない。

お互いにぶつからないようにルートどりをするしかない。

車やバイクの予測される進路と自分の相対距離、相対速度から安全を確認しながら渡る。

最初のうちはビクビクしながら渡るしかなかったが、現地の人が渡ろうとしているのに合わせて渡るうちに勝手がわかってくる。

取り敢えず、赤でも渡れそうなら渡る。結局青になったところで渡れる保証がないのだ。

 

1日目はほぼ移動で潰れたが、2日目3日目は丸々楽しむことができた。

主にベトナムの料理の食べ歩きをしたのだが、めちゃくちゃ口に合う。

日本ではパクチー山盛り!みたいなイメージがあるが、現地では香りづけ程度にしか使っていない。

フォーやブン料理といった定番どころに連れて行ってもらったが、特に美味しかったのはブンタンという料理だ。

鶏、しいたけを使ったスープに、ブンと割いた鶏肉、錦糸卵、パクチーなどの香草を入れた麺料理なのだが、奄美の鶏飯にとても似ている。

どこかでルーツは繋がるのではないかと思うほどに似ていた。

その他の料理も、日本人の口にとても合うと思った。

さらに言うとめちゃ安い。日本の外食費の半分くらいで食べれる。

 

騒々しくて疲れると思ったところもあったが、総じて活気があり元気をもらえるところかなと思った。

日本の人々は疲れている顔をしている人が多いが、ハノイの人の目にはしっかりと光が灯っているように見えた。

今より良くなる未来を真正面に見据えているような目だった。